裁判闘争集結のおしらせ

先般マスコミでもご覧になった方もいらっしゃると思いますが、2007年7月9日に中国「残留日本人孤児」側が政府与党の提示した支援案を受け入れ全国15か所で闘われている裁判を全て終結させることになりました。従って大阪高裁で裁判中の兵庫訴訟も全て取り消しとなります。

「中国『残留孤児』訴訟への新支援策」受諾にあたっての声明

中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会が主催している月2回開催している「楽しい生活講座」は引きつづき継続し、残留日本人孤児の生活をバックアップしていきます。

今後の情報は中国「残留日本人孤児」を支援する兵庫の会にバトンタッチさせていただきます。

国に置き去りにされ40年
「孤児」たちは自分の意志で中国に残ったのではなく、国に置き去り(棄民)にされたのです。1953年に最後の引き揚げがありましたが、この時も「孤児」たちは放置されました。1959年には国の特別立法、戦時死亡宣告で「残留孤児」ら1万2000人余りが戸籍から抹消され、法的に「死者」とされてしまいました。

1972年にようやく日中の国交が回復しましたが、肉親探しの訪日調査が始まったのは9年後の1981年でした。永住帰国が本格化したのは1986年であり、実に40年以上も待たされたのです。

約7割が生活保護に
しかし、母国・日本を慕ってやっと帰国した「老孤児」に対する国の援護政策は冷たく、人として生きるにはほど遠いものでした。日本で生活するために欠かせない日本語教育と社会教育はきわめて不十分でした。

また、自立支援政策は無いに等しく、老後は生活保護に頼るしかない状況におかれて、すでに「孤児」の約70%が生活保護を受けています。人並みの老後の保障を求めて、11万人の署名を持って国会請願を繰り返しましたが、いずれも不採択に終わりました。

そこで「孤児」は、苦難の人生の末、国の政策の誤りを認めさせ、謝罪を勝ち取り、恒久対策を実現させた「ハンセン病裁判」の闘いに励まさせ、この裁判を決意するに至ったのです。

「孤児」たちは、日本語がよく話せません。法廷でも、日本人でありながら中国語で、失われた人生と今なお癒されない深い傷、そして現在の苦悩を訴えることでしょう。

戦争によるこのような悲劇を二度と繰り返さないためにも、この人間回復の闘いをみんなで支えようではありませんか。

呼び掛け人
石坂啓(漫画家) 井出孫六(作家) 井上ひさし(作家)
永六輔(放送作家) 衛藤瀋吉(東京大学名誉教授) 加藤登紀子(歌手)
小林カツ代(料理研究家) 坂本龍彦(ジャーナリスト) 佐野洋(作家)
ジェームス三木(脚本家) 新藤兼人(映画監督) 曽徳深(横浜華僑総会会長)
ちばてつや(漫画家) なかにし礼(作家) 羽田澄子(映画監督)
林郁(映画監督) 古谷三敏(漫画家) 森村誠一(作家)
山田洋次(映画監督) 渡辺一枝(作家) 【五十音順(敬称略)】